楽しいジャズピアノの練習方法を追求するブログ

ジャズはなぜアドリブするのか?

最初に抱く疑問

「ジャズは何の為にアドリブをするのか?」
「 なぜ書き譜じゃダメなのか?」

これはジャズという音楽に出会ったときに誰もが抱く疑問ではないでしょうか?
ずいぶん昔の事ですが、漠然とした疑問を抱いたかすかな記憶があります。しかし、その疑問に対する答えは見つからないまま、いつしか忘れてしまいました。

「ジャズはそういうものだから」

と思考停止しこの問を放置する態度は、それこそジャズらしくありません。
という訳で、まず

「アドリブなんて必要ない!」
「何のためにやるのかわからない!」

というアドリブ否定論者になりきって考えてみました。

なぜ前もって決めておかないのか?

事前に何も決めておかないと遅れが生じる

事前に打ち合わせずアンサンブルに挑むと、演奏者はそれぞれ共演者の音を聴いてから判断することになります。どんなに耳と腕のよい演奏家であってもタイムラグが発生するはずです。

例えば、ジャムセッションでエンディングについて何も決めてない場合を考えてみます。エンディングに差し掛かると、誰かがエンディングのパターンを持ち出してきます。他の演奏者は即座にそれに反応して合わせます。パターンを知らなかったり反応が遅いと問題となるでしょう。上手い人ならば反応が速く、セッションやライブなど1回きりの演奏では問題にならないかもしれません。しかし何回も聴くレコードでは、このようなわずかな遅れでも気になることがあります。

また、パターンにないクリエイティブな事をやってしまうと、エスパーでもない限り、ぴったり合わせることは不可能なはずです。遅れるだけならまだ良い方で、まったく合わせられない可能性すらあります。

何も決めなければパターンに陥りやすい

上記エンディングの例が示すように、何も決まっていないとパターンに陥りやすくなります。パターンを持ち出すというのは創造的な行為と言えるでしょうか。

何も決めないといえばフリージャズですが、そんなフリージャズも案外パターンに陥りやすいとの指摘があります。以前ご紹介しました「すごいジャズには理由がある」という本の4.オーネット・コールマンの章を読んでみてください。誤解を招く恐れがあるので言っておきますがフリージャズを否定している訳ではありません。手癖フレーズのようにパターン化はどこにでも発生するものです。ここで言いたいのはパターンにない事をやろうとすると事前に知らせておかないと合わせることは不可能なはず、という事です。

名盤はしっかり準備したものが多い

モダンジャズのアルバムで「名盤」と謳われているレコードには、しっかり準備して作られていると思われるものが多いのです。

1950年台のマイルス・デイヴィスの第一期クインテットでは、ドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズとピアノのレッド・ガーランドの息がピタリと合っています。このクインテットの名盤にはマラソン・セッション(アルバム4枚分のレコーディングを2日で行った)のように一発録音が多いのですが、バンドでレパートリーを完成させ、さらに何度もステージで演奏していたので準備は十分すぎるほど行っていた事になります。この頃のフィリージョーとガーランドは、毎日のようにクラブで一緒に演奏していたので、現場で鍛えられた阿吽の呼吸たるやすごいものがあります。Surrey with the Fringe on Top(アルバム:Steamin’ with the Miles Davis Quintet)のピアノとドラムに注目して聴いてみてください。Two Bass Hit(アルバム:Milestones)でサックスソロ中のピアノとドラムのやり取りも注意して聴いてみてください。

また、ブルーノートというジャズ・レーベルは、今も昔もジャズファンに人気があります。このレーベルの最も有名な特徴は録音前の徹底した準備でした。この頃のジャズ録音は予算の都合もあって場当たり的に行われるのが普通でしたが、ブルーノート・レコード創設者のアルフレッド・ライオンは、リハーサルにもギャラを払い、優れたアンサンブルを重視しました。

このようにジャズには「結構打ち合わせしてるんじゃないの」というものが名盤として人気を保ち、長きにわたって売れ続けています。

アドリブで緻密な音楽を作れるのか?

クラシックはジャズとは対照的に前もって計画された音楽です。バッハやブラームスの対位法を駆使した緻密な音楽をアドリブでつくるなんて到底無理です。そもそも失敗の多そうなアドリブという音楽創作方法は音楽の質を上げるのに最善の方法と言えるのでしょうか?

言い返せますか?

事前に何も決めていないと、パターンに陥ったり合わせられなかったりするのに、なぜ即興演奏にこだわるのか?作りこまれた緻密なオーケストレーションの感動や凄さをよく知っているクラシック音楽ファンにしてみれば、ジャズは暗黙のルールに縛られたゲームかスポーツのようで、芸術という枠組みには入れ難いのではないでしょうか?

全てのジャズ・ファン、評論家、演奏者に問います。
もし、このようにクラシック・ファンに問い詰められたら言い返せますか?

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